自分信頼作り<Heart+Art>

体と心の関係を星を絡めて伝えたり、何気ない日々の雑記事などを書いてます

スピリチュアルってそもそもなんだろうね

あえて公表はしていませんが、私はもともと何かが見えてしまう体質

俗に言う「幽霊」といわれるものなのだと思う

 

初めて認識したのは小学校のプールの中で「魂」をみてから
今でもはっきり覚えているけど、
みんなで水泳の授業中に私一人だけふざけてもぐったりしていたら
目の前を青白い光の魂が「ゆらゆら~ふわふわ~」って動いていて
ビビッて急いで水中から顔を出したのを覚えている


そんなにはっきり見えるわけじゃないんだけど
そこにいるなっていうのと
性別、年齢、服装、どんな顔をしているのか
それくらいはわかる


もともと祖父が強い人だったので、たぶん隔世遺伝なのかと


だから、父も母も私が何か違うものを見ていることは知っていた
でも、あえて公表することでもなかったし
父も「お前にとっては普通かもしれないけど理解はされないことだから
あえて言うな」ってよく言われていた


私にとってはそれが普通の世界
今は、ほとんど見なくなったけど
(見なくてすむようにチャンネルのずらし方を覚えました)

 


こういう出来事や視てしまう力を「スピリチュアル」として
世間に浸透したのってほんと最近なんだよね
小さいころは何か人と違うものがあるというのがちょっと誇らしくて
私は特別だと認めてほしかったのも事実


だけど、視えない人にとっては信じれないものでもあるよね


よく、見えない人が「そんなに言うなら見せてみろよ」って言うんだけど
そもそも、見えるチャンネルを持ってないのだから見えるわけがない
こっちからすれば「横にいますけど?」って感じなのにね

 

見える見えないの違いをよくテレビのチャンネルで表現する


何か不思議なことを体験してしまう人は
きっとチャンネルの数が多いんだと思う
チャンネルってようは放送局みたいなもの


東京のテレビ局と地方のテレビ局の数ってぜんぜん違いますよね


だから地方テレビのアンテナを持っている人が
どんなに「テレビ東京見せろよ」って言われても
そもそもテレビ東京チャンネルがない」んだからみれない


もっと言うと、チャンネルの数が多い人は
CSチャンネルや、BSチャンネルも持っている

だから、いろんな放送局のテレビが見れる


それが言い悪いとかではなくて、もともと持ち合わせている数の違いだけであって
何か特別な力とかではないんですよ


だって、チャンネルって増やせるから
チャンネルを増やすには、みんなに初めから備わっている
民法チャンネル」=五感といわれるもの鍛えればいい


そのことに関しては海部舞さんがとってもわかりやすく書いてくれてます

hoshinomai.jp

~ 一部抜粋 ~
☆視覚は訓練すると第三の眼を開くことにつながります。

 

☆聴覚は訓練するとエネルギーを感じ取る、目に見えない者の違いを聞き分ける、
目に見えないものの音を聴くような透聴という力にもなります。

 

☆嗅覚は脳の開花や記憶にダイレクトにつながります。「思い出す力」だと思う。
鼻が利くという言葉があるけど、目に見えないものも嗅ぎ分けられるようになると思う。

 

☆触覚、皮膚感覚は調和の力。人とのバランスをとる力に。

 

☆味覚は自分の欲求や快楽に素直になる力に。

 

そうして五感をどんどん開くと、直感という第六感が総合的に開く。

※もちろんわたしの憶測も入っていますけどね(笑)

誰が定義したものでもありません。

 

ただ、そういう意味で物質的な、身体の感覚を無視するって
生きる上で不協和音を生むのだろうと思うのです。

 

手足を動かして、自分の感覚に集中するとき、
わたしたちは瞑想状態になって、
直観と繋がりやすくなります。

 

 

 

そもそも備わっている力をフルに使えるようになっていくと
その先にある直観力が鍛えられる

第六感って言われているけれど


私は
 直観力=第0感(ゼロ感) 】だと思っています

人間の五感よりも、もっともっと先にあった力


それが第0感という感覚


スピリチュアルの力もきっとこの力なのではないかなって思っています


そこには実態はないけれども、何かが存在しているエネルギーを感じ取れる力

 

これが鍛えられることによって、願ったことがすぐに実現するとか
自分の意思ではないものからのエネルギーを感じ取れるとか

 

そうやってどんどんチャンネルを増やす

 

私は特に小さいころから、相手の行動や思いを

聴覚を使って感じ取っていました

 

だから、言葉の動き、心の動き、その人を取り巻く空気の動き

全てが「聴く」という感覚に集中します

 

何か違和感を感じたときに、研ぎ澄ます感覚も全て聴覚です

 

だから、うるさい音はとても嫌いだし

不協和音もイライラする

(歌が上手いと思い込んで大熱唱して、はずれまくっているのもイライラします 笑)

 

逆に、昔ながらの雅楽の音色、パイプオルガン、鈴の音

そういった、自然界の音や昔からある音をリスペクトしてつくられている「音」は大好きです

自分の真の部分が喜んでいるのがわかる

 

 

そんなふうに、自分の中にある五感を研ぎ澄ませ、喜ばせることが、自分自身を満たし喜ばし、愛し、そうやってどんどんと世界に循環されていくのだと思います

 

 

「スピリチュアル」という言葉自体が、なんだか地に足の着いていないようなふわふわした感じで、特別で、崇拝されて、みたいな風潮だけが一人歩きしているようで、とても気持ちわるい

 

そんなものではなくて、自分の中にあるもっとも身近で寄り添っているモノ

誰もが、生まれる前から持っている感覚

何も特別なんかじゃない、当たり前だった感覚

 

それを思い出すために、もっともっと五感を研ぎ澄ませて、感じる感度を上げて、体も心も気持ちよくなれる自分でありたいなと思います

 

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