終戦に思う
今日は終戦記念日
私にとっても特別な日だ
昔、前世を見てもらったときに沖縄戦を経験していると言われたことがある
何故なのかは当時はわからなかったけど、広島や長崎の原爆の映像よりも何よりも辛いのが沖縄の戦時映像だった
高校時代、修学旅行が沖縄で
授業で当時のことを調べているときから、とにかく辛くて
いざ防空壕に入った時にはやっぱりいやな予感的中で、半憑依状態になったりしてクラスの皆がどん引きしてたのを今も覚えてる笑
もともと霊感みたいなものがあるんだけど、そのときは号泣している自分を上の方から冷静に見下ろしている自分がいた(幽体離脱みたいなものかな?)
めっちゃ泣いている自分の中に25、6くらいの女性の方の感情が入り込んでいた
ただ少し不思議だったのが、その時の感情が寂しい辛いではなく、ありがとうという感謝のような温かいものだった
この感情がなんだったかを知るきっかけになったのが、はじめに書いた前世を見てもらったときだ。
この経験が高校のときで、前世を見てもらったのがそれから3年くらいたったとき
私も当時のことはすっかり忘れていて、前世を見てもらったときには「過去に巫女とかやっていると思う」みたいな話をした。だけど、視てくださった方が「それもあるんだけど、今はもっと最近の感情ですごくインパクトのある映像が見えるよ」って言われた
それが、沖縄戦を経験しているというもの
そして、誰かが「ありがとう」って言ってるよって教えてくれた
その時、忘れていた記憶が一気に戻ってきたように背筋がぞわぞわしたんだよね。
それで初めて修学旅行であったことを話した
そしたら、その方今此処に来ているよって
薫さんに伝えたいことがずっとあって、あの時も伝えたかったんだけどうまく伝えられなかったって。
そして伝えられたことは、その当時私は男性で後に妻になる人と自分の家族と一緒に何不自由なく平和に暮らしていた
だけれど、戦争が始まり私も戦地にいかなければならなくなった
本当は家族と一緒にいたい。これからもっと幸せになるはずだった日々が戦争によってすべて失くなってしまった。
なんとか生き延びたときには、彼女と家族は糸満市の防空壕で自決した後だったことを知った。
自分だけ生きてしまったことが辛くて、苦しくて、助けられなかった後悔がずっと忘れられなくて。
どうやって自分の最後を選んだかはわからないけれど、その時の魂の傷がずっと今でも残っていた。
今現世で生きている私自身もどうしても自分を蔑ろにする癖が付いていて、いつ居なくなってもいいようにってずっと思っていた10代だった
その思いが、この前世から引っ張ってきているものだと知ったときは涙が止まらなかった。
そして、あの時私の感情にシンクロしてきた女性こそが、当時一緒に過ごしていた彼女だったのです。
私にずっと伝えたかった「ありがとう」の本当の意味は
「私たちは一緒に生きることは出来なかった。戦争という自分たちではどうにもならないものにのまれてそこに抗うことは出来なかった。だけど、それまでの日々はとても幸せなものだったよ。どうか自分を責めないで。私は命なくなるその時まで幸せだった。あなたは何も悪くない。なのに、今も自分を苦しめていることが私は苦しい。もう大丈夫だとずっと伝えたかった」ということでした
号泣。
自分でも何かわからないけれど、やっと許されたような気持ちになった
私の方こそ「ありがとう」だ
思えば、私の前世はすべて戦いだった
そして、戦いたくない自分の心は押し殺して時代に抗うことができず、戦火で前線で戦ってきた
大切なモノを守るために
そして、いつも大切なモノが守れなかった
だから今でもどこかで大切なモノをつくりたくない自分がいる
今世はそれが課題
だから、女に生まれ、大事にされる側になった。
そしてこれから子供と家族という大切なモノを持つことになるんだと思う
付き合い始めた当時も、結婚したときもどこかでこの関係性を終わらせたいと思っていたのは私の方
だって、守れなかったんだもん
もう無くすのも、絶望するのも嫌なの
そのたびに、否定しまくってきたのが今の旦那です
「おまえがそのポジションに立つなよ!それは俺の役目なんだよ!」って言い続けてくれた。
ずっと信じるのが怖くて、強気に虚勢をはっていた私を不器用ながらも懸命に一途に愛し抜いてくれた
もう勝ち負けは終わり
白黒つけるのも終わり
誰かが勝つのも、誰かが負けるのもみたくない
それぞれにそれぞれが守りたいものがある
だから、私は優しい世界になるように祈る
誰かの世界であっても、その人にとってが優しい世界であることを願う
終戦記念日は、私にとっても特別な日
今日もあなたにとって優しい世界であるように・・・